
还记得今年北京冬奥会上,因“冰墩墩”而走红的“义墩墩”(日本电视台记者辻岗义堂)吗?时隔半年,他投稿参加了2022年度“熊猫杯”日本青年感知中国征文大赛(详见文末小贴士)。
在这篇“特别寄稿”中,“义墩墩”回顾了北京冬奥会上他与“冰墩墩”的“如梦般”的邂逅,以及他对“我与中国”这一主题的所思所想。

辻岗义堂
日本电视台记者


“义墩墩”——今年6月迎来本命年36岁生日的我有了一个新名字。
北京冬季奥运会的经历对于我是一段梦幻般的时光。或者说,把它当作一段梦,才能给出一个合理的解释。可爱的冬奥会吉祥物“冰墩墩”让我倾倒,每天的电视直播里,我热情饱满地向日本观众介绍“冰墩墩”。没想到这引起了中国观众朋友的关注,我化身为“义墩墩”引发了一个热潮。
话虽如此,刚开始我并未察觉。在张家口采访时,我经历了不可思议的一天。不知何故,一些志愿者跟我打招呼:“能一起合张影吗?”从张家口返回北京时,中方会务协调人跑到我身前,一边给我看手机屏幕,一边兴奋地说:“义堂桑!你在中国火了!!”
与“义墩墩”相关的视频反响惊人,播放量达5.4亿次,远远超过日本总人口数量。本以采访为业的我,反而采访邀约纷至沓来。报社、国营媒体、大使馆、奥运组委会……话题“墩墩墩”地越来越大,在各个会场我都会见到等我的人,并收到各种礼物、粉丝信件等,每天都和300多人合影留念。当时据说产生了450亿日元的经济效应。对于这个数字,我的大脑至今还回不过神来。
回想北京冬奥会的采访工作,一开始可谓一波三折。刚到北京时,我把御寒的羽绒服忘在了机舱里。我想当然地认为马上就能取回衣服,没想到出于疫情防控的考虑,我的羽绒服又被送回了日本机场。那时,正是北京机场的冰墩墩一瞬间治愈了我那绝望的心情。
我决定找个机会报答冰墩墩。带着这一念头,我迎来了面向日本观众的首次直播。直播时间虽然稍微超了一些,我在最后尽情地讲解了冰墩墩的魅力。这正是一切故事的开始。“热情超越国界”——我在中国亲身体会到了这句话的含义。
“我原以为日本人会更害羞一些。”“日本人看着不该更老实一些吗?”“我印象中日本人比较阴暗。”这些都是志愿者们告诉我的感想。与此同时,他们总会紧接着附加一句:“是义墩墩改变了我的印象!”
在中国的26天里,我接触了很多中国的朋友。大家在年龄、性别、性格、身高、表情、发型、声音等方面当然存在各种差异,但是所有人都一样,为了北京冬奥会的成功举办而动力十足。这方面日本人也一样。日本人也形形色色,彼此之间个性各异,但是也因各种共通点而维系在一起。如果我们不断寻找细小的共通点,或许会发现连“中国人”和“日本人”这种概念区分也会变得模糊起来。
整整连续21天的直播工作。我从早到晚既要完成采访,期间还要兼顾接受采访。印象中每天的睡眠时间大概只有3个小时。驱使我如此卖力工作的,无疑是来自中国朋友们的关怀。我感谢祖父为我取了“义堂”这个名字。同时我想再次向所有北京冬奥会的参与者致以敬意。每天把媒体中心打扫得干干净净的清洁人员、真诚相待的媒体同仁、志愿者、保安人员以及无微不至地关心我身体健康的冰壶竞技场馆的各位朋友们,谢谢你们!
「ビンドゥンドゥン」と出会って
ギドゥンドゥン。これが今年の6月で36歳、年男の私の新たな名前です。
北京冬季五輪は、私にとってまさに夢のような時間。いやもはや夢だった方が、説明がついたのかもしれません。大会マスコット「ビンドゥンドゥン」のかわいらしさに魅せられ、日々のテレビ中継で熱意を持ってお伝えしたところ、中国の皆様の目に留まり、「ギドゥンドゥン」として、一つのブームを巻き起こしておりました。
とは言っても、その始まりなど、当の本人は気付かぬもの。張家口エリアの取材中、「写真を撮ってください!」とボランティアの方々からなぜか声を掛けられた不思議な1日がありました。その張家口から北京に戻った際、中国人コーディネーターの方が私のもとに走ってきて、スマホ画面を見せてくれました。「義堂さん!中国でとてつもない人気者になってますよ!!」
日本の総人口を優に超える5億4千万回再生の反響はすさまじく、取材がなりわいのアナウンサーの私に取材オファーが殺到。新聞社、国営放送、大使館、大会組織委員会と話が「ドゥンドゥン」大きくなり、せんえつながら各会場で出待ち、プレゼント、ファンレターなどなど、毎日300人以上の方々と写真を撮らせていただいたのではないかと思います。経済効果450億円という数字に関しては、いまだに私の脳では処理しきれません。
振り返れば、北京冬季五輪の取材は、波乱の幕開けでした。寒さをしのぐダウンジャケットを、北京到着の際に機内に置き忘れ、すぐピックアップできるだろうと高をくくっていましたが、感染対策のため、私のダウンジャケットは日本の空港に逆戻り。その絶望的な気持ちをパッと明るくしてくれたのが、北京の空港にいたビンドゥンドゥンでした。
日本电视台节目拍摄团队与冰墩墩合影留念
いつかビンドゥンドゥンに恩返しがしたい。そんな思いで迎えた、日本に向けた初めての中継。中継の尺を少々オーバーしておりましたが、最後に思い切ってビンドゥンドゥンの魅力を熱弁。これが全ての始まりでした。「情熱は国境を超える」。中国で私はこの言葉を肌で感じることができました。
「日本人って、もっとシャイなのかと思っていました」「日本人って、もっとおとなしいのかと思っていました」「日本人って、もっと暗いのかと思っていました」。どれもボランティアの方々から直接言われた言葉です。それと同時に、毎回このような言葉も掛けてもらいました。「ギドゥンドゥンがそのイメージを変えてくれました!」
中国での26日間。私も多くの中国の方と触れ合いました。年齢、性別、性格、身長、表情、髪形、声色などなど、もちろん違いはありましたが、皆さん共通して、北京冬季五輪を成功させようという意欲に満ちあふれていました。この感覚は日本人も同じです。色々な日本人がいます。それぞれに個性があります。しかし、さまざまな共通項でつながっています。小さな共通項を探し続ければ、中国人や日本人というカテゴリーですらあいまいなものになるのかもしれません。
朝から晩まで取材し、その間に取材されながらの21日間連続中継。ほぼ毎日の睡眠時間は3時間ほどだったと記憶しております。そんな私を突き動かしたのは、紛れもなく中国の皆様の思いやりです。メディアセンターを徹底的にきれいにしてくださった清掃の皆様。真摯に対応してくださったメディア、ボランティア、警備の皆様。私の体調まで心配してくださったカーリング会場の皆様。祖父がつけてくれた「義堂」という名前に感謝しつつ、改めて北京冬季五輪に関わった全ての皆様に「謝謝」と申し上げます。
小贴士
“熊猫杯”日本青年感知中国征文大赛由中国外文局亚太传播中心、中华人民共和国驻日本大使馆、日本科学协会于2014年共同发起举办,旨在促进中日青少年交流,让日本青少年更加全面、客观、理性地认识中国。大赛以“我与中国”为主题,面向16至35周岁的日本青年征集日语作文,并邀请获奖者来华交流访问。大赛创办8年来,征集稿件近3500份,超过100名日本青年来华访问,已成为日本青少年认知了解中国的重要平台与知名品牌。
2019年6月25日,中国国家主席习近平在赴日出席二十国集团领导人大阪峰会前夕,给“熊猫杯”大赛获奖日本青年中岛大地复信,寄望两国青年加强交流互鉴、增进相互理解、培育长久友谊,为开创两国关系更加美好的明天作出积极贡献。回信在中日各界引起热烈反响。
迄今为止,大赛参赛者遍布日本全国47个都道府县,既有来自东京大学、京都大学、庆应大学等学校的青年学生,也有来自伊藤忠商社、时事通讯社、地方检察院等日本的企业白领、新闻记者和公务员。大赛获奖者当年受邀来华访问一周,迄今为止已走访北京、南京、上海、成都等地。日本青年通过实地访问,加深了对华理解,深化了与中国民众特别是中国青年的交流。
题图:辻岗义堂在北京冬奥会国际广播中心制作与冰墩墩有关的电视节目(图片提供:辻岗义堂)
编译:吴文钦
部分图片源自网络
来源:人民中国