“熊猫杯”日本青年感知中国征文大赛获奖作品:礼物

亚太说 2024-04-26 17:10:36

前原惠龙 八重山商工高中学生

“原来冲绳和中国有这么深的渊源啊!”初中三年级时,我开始意识到这一点。此前,我一直对冲绳为何拥有不同于其他都道府县的文化而感到疑惑,例如金楚糕和砂糖天妇罗(将鸡蛋、油及面粉等混合成面团炸制后加糖而成)等特色点心,还有组踊(冲绳的一种舞剧)和三线(一种乐器)等传统曲艺文化。“这些文化是如何产生的呢?”它们引发了我的疑问和好奇。受此触动,我选择进入一所能够学习冲绳文化的高中就读。

冲绳在过去被叫做“琉球王国”,约有500年历史,因受到萨摩藩侵略,逐渐演变成现今的模样。在过去500年间,我的家乡冲绳保留了诸多源自中国的“礼物”。

冲绳在历史上还曾被称为“古琉球时代”。日本历史学家认为,古代中国存在“中华思想”,即“中华以外的周边民族都是未开化的民族”。作为中国藩属国,琉球吸收了日中两国文化并形成了自己特有的文化。当时,琉球王只有被中国皇帝承认才可自称“国王”,中国还曾多次将被称作“册封使”的使者派遣至琉球。为招待册封使,琉球宫廷乐官玉城朝薰创作了琉球传统舞蹈“组踊”。他在年少时痴迷日本艺术之美,从大和文化的能乐、狂言和歌舞伎中得到启发,重新编排音乐和舞步,创造了琉球版本。其功绩在于创作了《执心钟入》《二童敌讨》等众多垂名历史的作品。或许是为了能让中国认可小国琉球,他在舞蹈中融入了庄严和权威的风格元素。据传有这样一个故事,有人在组踊开演前嘲讽“舞蹈岂能言物”,殊不知观看后竟感动得热泪盈眶。组踊于1972年被列入日本非物质文化遗产名录,于2010年被列入联合国教科文组织非物质文化遗产名录。其美轮美奂的表演跨越了时代,令现代人深受感动。此外,被视作冲绳代名词的“西萨”(即风狮爷)也蕴藏着非凡魅力。“西萨”的历史可追溯至古埃及的东方文明,它通过丝绸之路,以“狮子”和“西萨”的形式分别传入了中国和琉球。琉球西萨通常成对出现,雌狮子紧闭嘴巴,寓意“含住福气”,雄狮子大张其口,寓意“驱赶邪祟”。中国的狮子和冲绳的西萨,二者寓意十分相近。同一时期,各种学说、思想等也伴随着狮子文化一同传入,极大促进了琉球文化的发展。

此外,砂糖天妇罗和金楚糕也与中国有关,前者是日本厨师学习中国烹饪技术后所做,后者综合参考了日中两国的点心做法。在音乐方面,三线从中国传至琉球,摇身一变以“三味线”之名传入日本。琉球国还留有一个叫做“万国津梁钟”的文物,其身记载着“琉球国地处南海胜地,是日中两国间的蓬莱之岛。其凭借舟楫成为万国津梁(桥梁),开展贸易通商,岛上至宝充满”等内容。由此可知,琉球国在历史上曾是日中两国交流的桥梁。

世界各国文化彼此相连,形成一个重叠相交的巨大圆环。许多文化即便没有直接接触,也会通过其他各种方式,从一个国家传入另一个国家,相互融合发展。诚然,历史上也曾有过因思维逻辑和政治考量等原因拒绝接受外来文化的时期,但历经摩擦、接纳融合后重获新生的文化更为卓越,令人着迷,使人内心萌生出将其代代相传下去的使命感。而对外来文化的求知欲不断敦促着我们去感受文化之美。

访华感想

通过此次访华,我感受到中国是一个极其热情的国家。一方面中国人的温柔和善与中国文化息息相关,另一方面这种性格也会促使他人想要进一步了解中国文化。这使我再次切身感受到了国民性格与国家文化的相辅相成,真是受益匪浅。

贈り物

前原 惠龍 沖縄県立八重山商工高等学校

「沖縄県って中国とこんなにつながっているのか」私がこの感情を持ち始めたのは中学3年生の時であった。この頃の私は、沖縄の独自の文化に疑問を持っていた。例えば、ちんすこうやサーターアンダギーなどの沖縄独自のお菓子、また組踊や三線などの芸能など、私に「なぜ、この文化が生まれたのだろう」と疑問と好奇心を湧かしてくれた。この気持ちが大きく、沖縄の文化などが学べる高校に進学を決めた。

沖縄は昔、琉球王国という王国であり、約500年という歴史をもっていたとされている。けれど、薩摩藩の琉球侵攻により、今の沖縄の形に徐々に変化をしていった。そんな500年という歴史の中で私の住む沖縄に中国は多くの贈り物を残してくれた。

琉球には古琉球時代と言われる時代があった。中国では、中華を文化の中心とし、周辺の人々を未開の民族とする、いわゆる中華思想が存在していた。琉球はその影響も受けつつ、中国を宗主国として、日本と中国などの文化を取り入れて独自の文化を築いていった。琉球の王は、中国の皇帝から承認されて初めて国王と名乗ることが許されており、冊封使という、使者が中国から琉球に何度か派遣されてきた。そんな、冊封使をもてなす為に組踊という琉球舞踊が玉城朝薫氏によって作られた。彼は若い頃、日本芸能の美しさに魅了され、大和芸能の能や狂言・歌舞伎からヒントをえて、音楽や舞踊を琉球版にアレンジした。その功績は、「執心鐘入」、「二童敵打」など多くの名作を誕生させた。彼は、琉球という小さな国を中国という大国に認めさせたいという、威厳と権威を持ち合わせていたのだろう。それを感じさせる逸話がある。組踊の上演前に「踊りが物を言うことがあるか」とあざ笑った人でさえ、感動のあまり涙をしたということだ。今、組踊は1972年に日本無形文化遺産に、2010年にユネスコ無形文化遺産に登録された。その美しさは、時代を越えて現代の私たちに感動を与えてくれる。また、沖縄の代名詞とも言える「シーサー」にも魅力が隠されている。シーサーの歴史はエジプトのオリエント文明までさかのぼり、シルクロードを通じ、獅子として中国まで伝わり、シーサーとして琉球に伝わった。シーサーはペア同士であり、雌は口が閉じており、福を逃さないという意味が込められ、雄は口が開き、邪気などを払うという意味が込められている。中国の獅子、沖縄のシーサー、両方とも意味がとても似ている。そして、獅子文化と同じ時期に学問や思想など伝わり、琉球文化が大きく発展した。

その他にも、サーターアンダギーは中国から調理技術を学んだ料理人によって作られちんすこうは日本と中国の菓子技術を参考にして作られた。音楽では、三線が中国から琉球に伝わり、三味線という名前に変わり日本に伝わった。琉球には「万国津梁の鐘」という鐘がある。そこには、「琉球国は南の海の良いところにあり、中国と日本の間にある蓬莱の島で、船で万国の津梁、いわば架け橋となって貿易を行い、国に宝物が満ちている」と記されている。日本と中国の架け橋であった琉球の姿があったのだ。

世界の国々の文化は広い輪でつながっている。その多くの文化は直接的ではなくても、さまざまな道筋を経て、国から国に伝わり、発展し合ってきた。時には、考え方の違いや政治的な理由などで文化が受け入れなかった背景も、歴史を振り返ると存在する。けれど、その摩擦や受容から生まれる文化は素晴らしく、私たちを魅了し、後世に伝えたいという使命感を湧かしてくれる。相手の文化を知りたい、その感情は私たちに文化の美しさを教え続けてくれる。

訪中の感想

今回の訪中で感じたのは、中国はすごく情熱にあふれている国ということです。人の優しさはその国の文化にもつながっていますし、その国のことをもっと知りたいというのは人の優しさから始まるのだと、あらためて痛感しました。とてもいい経験でした。

翻译:黄泽西

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